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記事:中央日報(2009/8/31)☆原文は<こちら① ② ③>
※(Y)=ユンシク、(K)=ギョンロク、(M)=サンミョン、 (H)=サンヒョク、(I)=インス 傷ついていく世の中に叫び 良い子だった悪童たちの斜めな助言 −ドキュメンタリー「不都合な真実」からヒントを得たタイトルだと聞いた。 H:「外で酒を飲まない時、家で一人ビールを飲みながらTVを見るんだ。バラエティは好きじゃないから、ドキュメンタリーをよく見るようになった。そうして、アール・ゴアの"不都合な真実"を見たんだけど、世の中が傷ついていくのが見えた。傷ついていくことを知っている人々が、互いにいがみ合ったり、パーティーを開きながら大騒ぎして生きていくように感じたよ。それで、こういうパーティーをする人々の姿を表現してみようとした。」 Y:「内容に地球温暖化問題等、環境的なものを扱いもした。」 H:「また、人々の欲張る姿も見せたくて。」 M:「今、戦争で死ぬ人の数が第二次世界大戦のときより、よっぽど多いんだって。ただ単に環境だけでなく、全てが臨界点に向かっているようだ。その現実に対して、主観的に良い悪いと言うことではなく、問題をもう少し客観的に伝えたかった。それでも大真面目なものではない。これ、ちょっと見て、その程度だ(笑)」 −”良い子”は初めに聞いた瞬間にタイトル曲に決まったの? K:「まず、楽しい曲で、という同意はあった。”鬼神は何してるの”は審議のために問題があって、”良い子”が明るく、楽しく、メッセージ性もあるから、タイトル曲に決まった。」 −どんなメッセージか? K:「我々の話でもあり、我々の同年代の友達たちの話でもある。また、学生たちにがんばれと言いたかった。入試、大学、良い就職に始まる社会のフレームがあるが、それに追いていけなければ落伍者の気分になる。良い大学を出て、良い就職をしても、良い大人になるわけではない。勉強がよくできても、良いことをしない場合も多い。だから、学生時代に勉強のことだけ考えないで、自分が好きなことを探すのが、もっと幸せなことではないかと問いかけている曲だ。」 M:「音楽は人々に幸せと安らぎを与える機能を持っている。普通、恋愛の話が大半だ。最近、若者たちはお金がかかるから恋愛もしないと言って、驚かされたが、宙に浮くようなそんな恋愛話より、今経験している辛い現実に向き合って痛快に吹き飛ばせる、そんな曲が”良い子”だと考えた。」 −みんな幼い頃は悪い子ではなかったようだ。 M:「本当に良い子だったよ」 Y:「服装不良で、ロックンロールの青春だったから、歌の歌詞によれば、悪い子だった」 −歌詞の”良い子”のように、みんな大学も出た。 H:「そうやって考えると、実際よい子だった。我々も大学に行かなかったら、滅びた人生になるとわかって、どうにか大学に入った。何年か経ったら、いずれにしろ点数に合わせて大学に行くんだから、したくない勉強よりしたいことをするのが良いのではないかと、考えるようになった。そうだったら、もっと早く自分がしたいことを探さなかっただろうか?」 M:「12年間、一生懸命努力して、結局行った場所が、夢をかなえるためではなく、就職するための前哨戦を行うための場所だとしたら、本当に12年を無駄使いしたようだった。」 −サウンド的に”良い子”はダンスロックだが、トレンドも考慮して音楽を作った? K:「トレンドは考慮しない。」 −うわ!きっぱりしている。 M:「実際、ギョンロクがはじめ作った時、いまのスタイルではなかった。メロディーを決めて、どうやってアレンジすれば格好よくなるか悩んだ。ある瞬間、俺がギターを今のバージョンで弾いて、そこにギョンロクが合うリズムを提案した。そのようなことが全て合わさって、今の曲になった。」 K:「俺達はトレンドを追いかけたことはない。トレンドを作りたいと思っているだけだ。」 にぎやかさから壮大さまで… 型にはまらない雑食パンクの道 −キムインス氏のにぎやかな曲は、今やもうCrying Nutのトレードマークになった。今回は”泥酔天国””珈琲物語”を書いたが、曲の背景を聞かせてくれ。 I:「”珈琲物語”はライブが終わってから、朝まで24時間開いているカフェに座って書いた。ちょうど雨が降っていた。何枚だったかもわからないけど、ただ書いた。特別な意味で書いたわけではない。」 M:「もうちょっと格好良い表現へ合わせるなら、コーヒー一杯飲む時間に、考えに浸る状況だ。外には雨が降っていて、通りゆく人々を見ながら、不思議な世界の風景が万華鏡のようにすれ違う。コーヒーを飲む10分間、頭の中に戦争が起きるようだと言うか。」 H:「インス兄が哲学科を出たからそうか…。」 I:「酒をよく飲むんだ…。」 H:「不条理についての研究をたくさんしたんだ。」 I:「”泥酔天国”は、酒を飲むしかない状況と、酒を飲まされる状況、二つの間で考えてみたら、”気分が悪いから酒を飲む”と言った時、自分が酒を飲むのか、誰かに酒を飲むように誘導することか。このような考えで、酒を飲む感じと酒を飲まされる人の感じ、二種類を書こうとしたが、酒を飲みながら書いてみたら、全部ひとつに合わさって、どこから分かれるのかわからない。」 −(頭を整理して)サウンドを聞いてみれば、民俗音楽コレクターのようでもある。 I:「結構好きだ。民俗音楽は悲しみや喜びの状況に対して、正直だ。歌詞を知らず、音楽だけ聞いても深い感性があるようだ。考えすぎる必要もなくて。」 −イサンヒョク氏は”窮屈なパーティー”のような典型的なCrying nutの曲だけでなく、”ルナ”のような静かな曲も作曲した H:「今回はいろいろなタイプの曲を作ってみた。”窮屈なパーティー”は初心に戻って行きたい時作った曲だ。”ルナ”は僕の娘、ルナのために作った曲だから、ロマンチックに編曲した。 −今回、”Gold Rush”もそうだが、大曲が最後を飾るのがアルバムのルールになった。 M:「共通のスタイルに行ってみたら、飛んだりひと味が違って終わりに入れるしかない曲がある。(4集で)” 귀뚜라미 별곡’”が最後の曲に収録されて、その時から伝統になってしまった。」 H:「ここまで聞いたことに、お疲れさまでした、の意味というか(笑)」 −“行くんだ”はイ・ジャラム、KINGSTON RUDIESKAと一緒にした。多様化する弘大インディシーンが影響を与えることもある? H:「後輩たちのライブを見るたびに、ひとつひとつ勉強になって、有難い。昔のインディーバンドは皆パンクをしたが、いまはジャンルが増えて、もっと”インディー”らしい。とてもおもしろいよ。」 −”ポンキ(ポンチャック気質)”に対する関心はいつから? K:「人生がそうだというか、ハハ。」 H:「幼い頃から韓国音楽を聞いて育ったから、自然に出てくるようでだ。」 M:「演奏的な側面から近づけば、ポンキが私たちの国にだけあるものではない。ドレミソラ5音を使うが、それがロックと合う。ふっとそんな感じもする。学校で高いお金を出して洗練された音楽を学べば、高級なサウンドが出るかもしれないが、俺達は自分で探しながら演奏をした。俺はまだコードの名前もよくわからずギターを弾いている。それで、型にはまらない音楽がでるようだとも言える。」 H:「型にはまらない、じゃなくれ、はまれないんだろ(笑)」 −年をとって、パンクをするのが可能か、またスリーコードのパンクサウンドが進化するのが可能かという疑問を抱いたこともあった。しかし、Green Dayもそうだし、Crying Nutもそうで、やり抜いているね。 M:「年をとっても可能ということは、ラモーンズを聞いてみればわかる。俺達がラモーズの最強のファンだ。棺に入る時も、革ジャケットを着るつもりだ(笑)」 −クラッシュの追従者じゃなかったの? M:「クラッシュは、パンクのバリエーションを教えてくれたバンドで、ラモーンズはパンクのアティテュードを教えてくれた師匠だ。」 K:「パンクは抵抗と自由の音楽ではないか。自分がしたいことをするのが、一番良いみたいだ。ラモーンズ兄貴たちは、スリーコードを好んだし、その中でロックンロール的な生き方をするのを好んだ。クラッシュはディスコを取り入れるなど、いろいろな実験を多くした。それがすべてパンクだと思った。自分の中に閉じ込められているものを、開かせるのがパンクのようだ。」 M:「それぞれ好きな音楽志向が違う。ひとつの井戸だけずっと掘るわけにもいかないし。他のスタイルの音楽もしてみたいのは、ミュージシャンの欲だ。そうして見れば、ラモーンズの一つの井戸より、クラッシュの実験スタイルに近づいていくしかない。」 −いつからそのような考えをするようになった? K:「1集だけでも、”マルタルリジャ”が一番有名でそうでしょう、ジャンルが多様だ。2集の時も変なことをたくさんしたし。これからもずっとかわっていくだろう。」 独自のパンクスピリット… 二本の足で立っていられるうちは、バンドをしたい! −5集は軍隊を除隊してすぐ、とてつもなく音楽をしたいという熱望がこめられたアルバムだった。6集はそれよりも、精製された感じがする。 H:「5集が出た時、20代の後半から30代になる時期だった。Crying Nutは自由奔放はイメージで有名だったが、みんな我々が軍隊に行ってくれば、聞き分けよくなるのか、ならないのか、関心も高かった。だから、5集で我々もどう出して行くべきかとても悩んだ。今回はそのような悩みは払い落ちて、もっと自由に作業した。」 −「窮屈なパーティー」はCrying Nut所有のスタジオで作業した最初の作品だ。 K:「本当に感激的だった。人よりちょっと多く稼いでるグループだと思っても、個人練習室を持つまで10年の時間がかかった。軍隊を除隊して、一月に一、二回、定期的にDGBGでいろいろなグループと一緒に”Crying Nut Show”という公演をした。その収入を3年間貯めて、録音機材を買った。俺達だけの空間も感激的なのに、直接レコーディングをして、もっと感激的だった。 −”トバタ”レーベルの名前は誰が? Y:「俺だ。ライブで流した汗で作ったものだから。意味が深くて(うん?)」 −バンドを始めた時、こんなに長くすると思った? H:「はじめはそんなこと思いもよらなかった。一日一日ライブ舞台に立つことだけでも、大変だった」 M:「高いところにある理想を追うのではなく、次の日、1週間、1か月、1年の中で何をするのかという素朴な夢がずっとつながってきたようだ。」 K:「大変な時もあったけど、楽しい一日一日が積み重なった。今も舞台に立つのが一番おもしろい。だから、長い間やってこれたようだ。」 −まだパンク・スピリットは有効か? K:「いっぱいいっぱいだ。」 H:「むしろ、もっと進化してるんじゃないか?」 M:「自由、反抗を主張する人たちは、すごく良いイメージだが、大部分は反抗のために反抗をするようだ。自由と言いながら、自分が言った自由に抑圧される人も多くいるみたいで。特に、音楽をする人たちの中で、俺は反抗児だから何をしなくちゃならないと、自ら首をしめる状況が多いようだ。結局は、その全部が良くない。ただ我々は我々流に行くのが一番自由で反抗的だ。」 −9月5日のライブのために何か準備してる? K:「今回は”突風”Crying Nutをお見せする。エネルギーそのもの!」 M:「ライブの基本に忠実にするつもりだ。サウンド、照明、演奏、それらを準備して目と耳に良いライブになるように」 −いつまでバンドをするつもり? M:「最近、音楽をファッションアイテムとして軽く次々聞く傾向があるが、Crying Nutの音楽が良いということを知っている人が一人でも残っていれば、音楽をするつもりだ。」 Y:「脳死判定を受ける前まで」 I:「俺が二本の足で立っていられるうちは」 H「そうだ。それだった。」 翻訳 by ma。
by ma_sori
| 2010-10-30 10:35
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